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もともと農民、労働者などが着用する簡素なアンダーシャツ(下着)のことでありました。
第一次世界大戦で、ヨーロッパに進攻した米国陸軍兵士の一部が、当時の官給品であるアンダーシャツがウール製であったため、肌にちくちくするとして、フランス農民が着ていたこの種のシャツを買って着用したところ、実用性、着脱性にすぐれているということから本国に持ち帰ったようです。
そして、白無地の簡易シャツとして労働者、農民、船員などの人々に普及していきました。
Tシャツというネーミングも、広げた時の形態をとってつけられたようです。
この時代のTシャツはあくまで下着であり、労働者などの下層階級の人々が着用するアイテムとなっていました。
下着としてのTシャツから街着へと変身を遂げたきっかけは、1951年の映画「欲望という名の電車」でマーロン・ブランドがTシャツ姿で町を歩き回り、また55年の映画「理由なき反抗」でジェームス・ディーンが着たことによるようです。
革ジャンの下に、Tシャツを着て、バイクをとばすという風潮になり、Tシャツの胸や背にグループ名などを書きなぐったのが、今日のTシャツへの文字や図柄入りの始まりでありました。
それ以降、大統領選のキャンペーンTシャツとして、ヒッピー族のジーンズの上着として、またバドワイザー社の商標入りTシャツとして若者たちに愛されてきたようです。
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ピーコートは15世紀のオランダの漁夫、水平が着ていた粗い厚手の防寒用上着に由来し、オランダ語で「ピイヤッケル」と呼ばれていました。
ピイは「粗い毛織物」、ヤッケルは「ジャケット」の意味であり、この防寒上着は各国の水兵、船員にとりいれられ、
米国では18世紀に海軍が改良して水兵に支給するようになりました。
基本的なスタイルには5つのポイントがあります。
1.前打ち合わせがダブル
2.前身頃の中央付近に縦に切り込んだポケットがある
3.襟は幅が広く、刻み目がある
4.丈はコートにしてはやや短い
5.濃いブルーの生地色
また、このような形態は、以下のように船に乗る上で非常に機能的なデザインであったといわれています。
1.ダブルの前打ち合わせは風向きによって左右のいずれをも上前にすることができるので
保温性に優れている。
2.縦のポケットは横から両手を突っ込んで容易に保温することができる。
3.襟は立てることによって首を保護し、風を防げる。
4.濃いブルーの生地は汚れを目立たせない。
現在のピーコートは、ディテールにおいてバラエティーに富んでいますが、今でもトラッドな防寒アイテムとして根強い人気があります。
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ボタンダウンとは、シャツの襟の先端を、小さなボタンで、襟の下の身頃につけているシャツのことです。
このシャツは、もともとポロ競技で着用されていました。
ポロ競技では騎乗して疾走する際、襟が風にあおられてめくてあがり、顔や首にパタパタとあたるのを防ぐためと、また当時はポロ競技でもネクタイを着用することがあったため、ネクタイの結び目が激しい運動でまわってしまうのを防ぐため、襟をボタンで留めるという形式が考えられました。 |
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このためボタンダウンの襟のことを「ポロカラー」とも言います。
後、米国でドレスシャツとして応用されるようになりました。
これにはポロ競技を観戦していてひらめいたとか、エール大学の生徒が持ち帰った商品を参考にしたなどと諸説あります。
1950年代には米国東部大学生の間で、大流行となり、アイビールックの要素のひとつとして定着しました。
ボタンダウンの命は襟のロール!単に襟をボタンで留めるだけでなく、ボタン留めをすることによって、襟の形が軽く膨らみます。このロールの美しさがボタンダウンのポイントです。 |
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ポロシャツは、フランスで考案された「テニス用シャツ」が始まりであり、それが英国のポロ競技者にいち早く用いられたため、その名になったようです。
英国での初期のポロ競技には決まった服装はなく、クリケット用のシャツやタートルネックセーターを多く着ていました。そして、ポロ競技の時、襟のあるシャツは襟が風にあおられて、顔や首などにぱたぱたと当たることから、襟先にボタンのついたボタンダウンカラーシャツが、ポロ競技用の代表的な服装のひとつになっていました。
しかし、20世紀になって「テニス用シャツ」として、新感覚のニットシャツが登場すると、早速ポロ競技者が着用し始め、それがポロ競技者のシャツとして「ポロシャツ」の名前で定着したのが、始まりのようです。
ちなみに現在のポロシャツの原型を固めたのは、1927年のデビスカップに優勝するなど活躍した、フランスの花形テニスプレイヤー「ルネ・ラコステなのだそうです。 |
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スカート(skirt)の語源は「スケル(短い、切ったもの)」という言葉からはじまっているようです。これが古ゲルマン語に入って「スクウルタskurta」と呼ばれる長い衣服を胴あたりで切ったような短い衣服のことでした。その後ゲルマン族のアングロ人やサクソン人が英国に侵入して定着したことから古英語「スクウィルトscyrt(短い衣服)」になりました。
一方では古北欧語では「スクィルタskyrta(短い衣服)」がバイキングの英国侵入にともない「スキルトskirt(短い衣服)」となりました。
ここでスクウィルトとスキルトという二つの言葉が混在したため次第に意味が分化していきました。
スクウィルトは主に上半身用の「シャツshirt」を指すことになり、スキルトは主に下半身用の「スカートskirt」を指すことになりました。
従ってスカートは「短く切った」衣服(ほとんどワンピース型)のことであり、現代のような腰から下の衣服として始まったのは15-16世紀頃からのようです。
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シャツの上に羽織る上着の事を皆さんなんと呼んでいますか?ジャケット?それともブレザー?
ジャケットとは上に羽織るものの総称です。なので上着はもちろんのこと、CDのカバーやじゃがいもの皮だってジャケットと呼びます。
一方ブレザーはというと、金属ボタンや胸にエンブレムをつけたりしている背広型の上着の事になります。
<blazer ブレザー>の語源は、<blaze 炎>で、オックスフォード大学とケンブリッジ大学対抗のボートレースでケンブリッジの生徒が燃えるような赤色のブレザー型上着を着ていたことから、こういった型のジャケットの事をブレザーと呼ぶようになったそうです。
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セーラー服はもともとは水兵(セーラー)の服で、1857年に英国海軍が下士官や水兵の制服としたのが始まりと言われています。
日本でも英国海軍にならって1872年に海軍制服として採用されました。
セーラースタイルが一般に普及するようになったのは1864年に英国のエドワード7世が愛用したからで、初めは男の子の服でした。
さて、そのセーラースタイルの女子服を誕生させたのは英国海軍御用達会社で、女学生用スクールドレスとしてデザインしたのが初めてのようです。
このスタイルを取り入れた日本では、関東大震災後の洋装化の流れの中で女学生のセーラー服が急速に普及していきました。
ブレザースタイルが大半になった現在でも、まだまだセーラー服は女子生徒の制服として根強い人気があるようですね。
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詰襟のことをなぜ学ランと呼ぶのか知ってますか?
学ランとは詰襟の俗称で、学ランの「ラン」は江戸時代末期に西洋人たちが着ていた衣服のことを隠語として「オランダ人の着ている服」という意味から「ランダ」と呼んでいました。これが学ランの「ラン」の始まりです。
その後明治時代に入り、はかま姿のの学生に混じって洋風の制服(詰襟)を着ている学生のことを指して「学生用のランダ」という意味で「学ラン」と呼ぶようになったのだそうです。
学嵐、学乱、学濫などいろいろな当て字がありますが、正しくは学蘭ですね。
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ジャケットの下に着るシャツのことをカッターシャツといいますが、このカーッターとはいったいなんなのでしょう?
実は1918年(大正7年)、当時の美津野商店が商品名として用いたのがカッターシャツの始まりなのだそうです。
語源はズバリ「勝ったシャツ」。第一次世界大戦の勝利にひっかけたネーミングで、それが有名になり今でも使われる言葉になったのだそうです。
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